ハルウララ馬主がひどい?嫌い?気持ち悪い・頭おかしいとの噂はなぜ?人気の理由も紹介

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今回はハルウララの口コミ・評判を調査しました。

目次
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ハルウララの馬主がひどいとの声はなぜ?

 

1996年2月27日、北海道三石町歌笛(現在の新ひだか町三石歌笛)にある信田牧場で誕生したハルウララ。

信田牧場の場長である信田信義氏は、ハルウララの幼少期からの特徴について、小柄で臆病なタイプだったと語っています。

セリ市にだしても買い手がつかず、信田牧場がみずから所有する形で競走馬となったハルウララについて、馬主に対する批判的な声があがっていたようです。

どういった理由から馬主が酷いのか、ネット上の声とともにまとめてみました。

 

連戦連敗で嬉しくもない

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1998年11月17日に高知競馬場の第1競走でデビューするも、5頭立ての5着で惨敗。

その後もずっと勝ち星をあげることが出来ず、連戦連敗続きだったハルウララ。

その弱さが逆に話題となり、全国的な人気へと繋がっていったのですが、初代馬主である信田牧場の信田義久氏は、「競走馬は勝つことで評価を得る世界。

生産牧場としても負け続ける馬を生産したとしか評価は受けない」、「うれしくもない。高知競馬場存続のための話題作りに過ぎないのでは」と、冷めたコメントを寄せていました。

 

買い手がつかず自ら馬主になった信田牧場から、このような冷めたコメントが出たことに対して、酷いと感じた方もいたことでしょう。

しかし、通常の馬を成育するのではなく、勝つことで賞金を獲得し経営が成り立つ競馬界において、勝てない馬を抱えていることは、周囲の過熱ぶりに反して、精神的にも経済的にも冷たくなってしまうのもまた、当然なことと言えるでしょう。

 

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移送に関するトラブル!?

 

信田牧場から横山貴男氏に引継がれ、2004年3月に横山氏からハルウララを無償譲渡された安西美穂子氏。

「引退レースで勝つための体力づくり」を重視する安西サイドと、「高知競馬場で僕らの手で出走させ、ファンに姿を見せ、チャンスがあれば勝つ」というスタンスでいた調教師である宗石大氏との間で押し問答があったとのこと。

安西側は、馬を出すのはオーナーの勝手だ、警察を呼ぶなどと宗石側に迫り、2004年9月15日に、那須トレーニングファームへ移送されたハルウララ。

移送に関して、宗石側からの同意を得ていると主張している安西サイドですが、競走馬の移送の際に携行すべき「健康手帳」は、移送後も調教師の宗石氏の手元にあり、後日に黒磯へ郵送された経緯がありました。

必要とする書類の受け渡しの無い移送が、合意されていたと考えるのは疑問が残りますね。

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高知に戻れず引退

 

2005年1月3日、宗石氏と安西氏が話し合い、ハルウララの健康チェックを宗石氏が行い出走可能かどうか判断した後に、高知へ戻すことに合意し、1月中に高知へ戻し、その後の体調を見ながら3月に引退レースを行う予定と記者会見まで行っていました。

しかし、2月になって安西氏はハルウララの体調回復が遅れていることを理由に復帰を延期し、結局そのままレース復帰することなく、2006年10月に、ハルウララの競走馬登録は抹消。

この間、安西氏は2005年6月に森田健作氏を団長とした「ハルウララ1勝プロジェクト」を立ち上げたり、同年10月には「ハルウララ基金」の設立なども発表したが、いずれも企画は頓挫しました。

那須トレーニングファーム場長の広田修司氏は、「高知競馬クラスなら勝たないとおかしいレベルまで仕上げたものの、馬主サイドはレースに復帰させず、突然どこかへ持っていってしまった。人間の都合で愛玩具のように扱われ可哀そう。」とのコメントを残していました。

 

引退後に馬主が逃げた!?

 

2006年11月、安西氏は引退競走馬の再利用促進とセラピー活動を行うためのNPO法人「おうちへ帰ろうクラブ」の設立申請をし、ハルウララをセラピーとして使役していたとされていたり、2009年夏には繁殖牝馬となるために北海道新ひだか町の牧場へ移送。

ディープインパクトとの交配計画で、種付け料が900万円と高額なため募金を検討中などと発表していましたが、結局交配は実現できず、その後長きにわたり、ハルウララの生死さえ分からない事態になってしまいました。

ようやくハルウララの生存確認ができたのは、2012年12月ごろから2013年4月ごろ。

千葉県御宿町のマーサファームに、安西氏はハルウララを預託していました。

しかし、受け入れてから半年ほどで預託料が払われなくなり、安西氏は牧場に姿を見せなくなりました。

2014年2月にハルウララの所有権は放棄され、マーサファーム側へ移りました。

安西氏によって、復帰レースも引退レースも叶わず、ホースセラピーや繁殖牝馬などで、あちこちに移動させられ、それもまた実現できず、ハルウララを振りまわしていただけの馬主の姿勢に、批判の声が殺到したのは当然と言えるでしょう。

 

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ハルウララが気持ち悪い・頭おかしいとの噂も?

 

生涯一度も勝利することなく引退した、競走馬のハルウララ。

2021年にスマホ向けゲームアプリ「ウマ娘プリティーダービー」の中で、ハルウララをモチーフ元としてキャラクターが作られました。

擬人化されたハルウララについて、気持ち悪い、頭おかしいなどと言った声があがっていたようです。

その理由について、ネット上の声を集めてみました。

注意散漫のハルウララ

 

ゲームアプリ「ウマ娘」でハルウララを育成していたら、トレーニング中にチョウチョを追いかけたり、魚を獲ろうとしたりするなど、トレーニングに集中できないハルウララに、ウンザリするプレイヤーの声があがっていました。

注意散漫なハルウララの様子から、なんとなく頭が足りない、おかしな感じを受けてしまうのかもしれませんね。

 

目が気持ち悪い

 

ウマ娘キャラに採用されたハルウララ。

擬人化したハルウララのキャラは、優しいピンクの髪色に、丸くてクリっとした瞳が印象的ですが、その目が気持ち悪いと言った声があがっていました。

瞳の中に花が描かれているのが、カワイイと感じる人がいる一方で、すごく気持ち悪いと思ってしまう人もいるんですね。

どこか子供っぽく、あどけない雰囲気のハルウララですが、残念ながら受けつけない層も一定数いるのでしょう。

 

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そもそもハルウララとは

1996年2月27日、北海道三石町歌笛(現在の新ひだか町三石歌笛)にある信田牧場で誕生したハルウララ。

信田牧場の場長である信田信義氏は、ハルウララの幼少期からの特徴について、小柄で臆病なタイプと話していました。

調教師の宗石大氏も、鞍を装着しようとすると暴れる、腹帯を締めようとすると地面にひっくり返る、運動をさせようとしても動こうとしないなど、ハルウララは非常に手のかかる馬だと語っていました。

 

セリ市にだしても買い手がつかず、信田牧場がみずから所有する形で競走馬となったハルウララ。

最終的な成績は、113戦0勝(2着5回、3着7回)で生涯一度も勝利をつかむことなく、競走馬生活は終了。

連戦連敗が話題となって、「リストラ時代の対抗馬」、「負け組の星」などどして、全国へとその名を轟かせ、人気を獲得していったハルウララ。

馬主も3回変わり、三代目の安西美穂子氏の手に渡ると引退レースもさせてもらえず、預託料も払わずに逃げられるという、波乱万丈な日々を送ったハルウララ。

安住の地となったマーサファームでの穏やかな暮らしの中で、幸せを感じていてくれたら良いですね。

 

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ハルウララが人気の理由

 

ウマ娘のキャラに採用されたハルウララに対して、頭がおかしい、目が気持ち悪いと言った批判的な声があがっていましたが、実在のハルウララについては、健気に走る姿に心うたれるなど、好意的な声が集まっていました。

負けても一生懸命

 

生涯成績113戦0勝だった、ハルウララ。

「負け組の星」として人気を集め、どれだけ勝てなくても最後まで諦めず懸命に走り続けた姿が、多くの人々の心に刻みこまれ、愛された競走馬だったとの声がありました。

負けても腐らず、一生懸命に走ること。

人生でくじけそうになったら、ハルウララを思い出して、心の熱量を上げていきましょう!

 

売り上げ貢献した馬

 

勝つ馬、勝ち続ける馬こそが、不動の人気を獲得する競馬界。

連戦連敗で1度も勝利できなかったハルウララが、勝利をつかむことでの貢献ではなく、「負け続けること」で競馬界に一大旋風を巻き起こし、競馬人気や売り上げに貢献したのは凄いことだと、評価する声もあがっていました。

 

どんなに負け続けても、走り切ったハルウララ。

一度も馬券が当たらないことから、「交通安全」のお守りとしてグッズ販売されるまでに、多くのファンに愛されていました。

 

波乱万丈な競馬生活から、マーサファームで穏やかに暮らすハルウララ。

2024年2月27日で満28歳になりましたね。

これからも、ケガや病気に当たることなく、いつまでも元気に天寿を全うできますように。

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