パラリンピックを見たくない、そもそも興味がないと一部で噂されています。
オリンピックと比較してしまうと確かに記録的な結果は出ないかもしれませんが、パラリンピックも世界の人々に感動や勇気を与えるイベントです。
なぜそういった声が上がるのでしょうか。
今回はパラリンピックを見たくない、そもそも興味がないと言われる理由について調査しました。
パラリンピックとは
パラリンピックは、障がい者を対象とした世界最高峰の総合競技大会です。オリンピックが開催された年に同じ場所で開催されます。
2020年に開催された東京パラリンピックでは22種類の競技が行われました。
パラリンピックが開催されて間もない頃はリハビリテーションを目的とする大会でしたが、現在は全ての人が共生する社会への関心の高まりから競技スポーツとして注目されています。
パラリンピックの名前の由来は、ギリシャ語のpara(もう一つの)とOlimipic (オリンピック)を組み合わせたものだと言われています。
リオパラリンピックが開催した
各人様々な障害を持ちながら
何と明るい笑顔なのか
健常者からは伺い知れない
苦しみ驚き哀しみを乗り越え
計り知れない研鑽を重ね
リオの地で輝いている
この大会は人類の誇りとして
続けよう pic.twitter.com/UcwokJLMLt
— ガスパパ(お礼は❤️&RTで) (@gasupapa1655062) September 10, 2016
パラリンピックを見たくない理由1:障がい者だけを分ける違和感
?パラリンピックが終わるんです
ね❗なんか寂しいです。健常者の方も障害を持つ方も記録
とかメダルとかではなく、全力を
出しきった姿は美しいです? pic.twitter.com/aCtQ6JEcjz— ☃️ 友 華 ☃️ ・Good luck✌️ (@tomoka_267355Q) September 5, 2021
パラリンピックは障がい者を対象とした総合競技大会であるため、障がい者のみ競技に参加することができます。
しかしこの“障がい者だけを分けて”競技大会を開催することに非常に違和感があります。
オリンピックとは別枠でパラリンピックを開催することで、一見すると障がい者を特別な扱いをしているように見えます。
しかしその裏には障がい者だけをオリンピックの出場枠から外すような差別的な意識が隠れているように感じます。
この違和感がパラリンピックを見たくないと思う一因となっているようです。
健常者と障がい者とでは、どうしても障がい者側にハンディキャップが生まれてしまいます。
だからといって障がい者のみを分けて競技大会を行う必要があるのでしょうか。
現状では難しいことなのかもしれませんが、この違和感を払拭し素晴らしい競技大会にするためにも、健常者と障がい者とが分け隔てなく同じ競技に参加できるような協議を進めていくべきなのではないでしょうか。
パラリンピックを見たくない理由2:パラリンピックを見たくない理由2:偽善的な感動演出
今日は3.11なので震災関連番組がおおいが、パラリンピックはなんと地デジではなくBSNHKだけ?
全然パラリンピック盛り上げよう感が感じられない。やる前はまるでオリンピックとパラリンピックは何方も同じ様にいってはいるが、結局障害者競技なんて視聴率がとれないからか?
偽善者多すぎだろ! pic.twitter.com/s9UjElrc3B— なるみん (@narumin500) March 11, 2018
パラリンピックでは素晴らしい試合が繰り広げられていますが、メディアでの報道にはどこか誇張して感動させるような演出が存在しているように思います。
パラリンピックに関する報道のやり方に注目してみると、ありのままを伝えるというよりかは多少誇張した表現を使ってでも観ている人に感動や勇気を与え、印象に残りやすくすることに重きを置いているように感じます。
“以前は健康で普通に生きていた人が不幸な出来事に遭遇し身体障がい者となった”という事実に“スポーツに出会い生きる希望を取り戻した”といったようなことをわざわざ付け加えて報道しているのを目にして、「いい話でしょう?泣けるでしょう?」と感動の押し売りをされているように受け取ってしまい、不快に感じてパラリンピックを観るのをやめてしまう人も多いことでしょう。
偽善者の群れ。
何が「パラリンピックは見世物興行」だ?
障害者を「見世物」だと思っているのは自分たちじゃないか?
#パラリンピックの中止を求めます pic.twitter.com/tZmMJDLeya— 楔石 (@nishinaru1968) September 5, 2021
スポーツ観戦を楽しむ上で、出場する選手ではない第三者による過大な感動演出は必要ありません。
懸命に努力し、自分の力で世界の舞台に挑戦する選手たちに対して失礼に値するのではないでしょうか。
パラリンピックを見たくない理由3:障がい者差別の助長
【悲報】
パラリンピック誹謗中傷の左翼さん
『パラリンピックは障害者の自立を阻害する最大の障害だから中止しろ!!』コロナは口実であることを自白してしまう…
『超人揃いのパラアスリートが自立を阻害?』
『ひでぇ差別だな』
日本国民から怒りの声…#パラリンピック反対派はレイシストです pic.twitter.com/7uUxoqct6r— shin【新アカウント】 (@shin_shr201111) August 21, 2021
パラリンピックは年々競技人口が増加しており、競技レベルがだんだんと高度になってきているため、スポーツ選手として活躍する身体障がい者に注目する機会が増えてきました。
スポーツをするチャンスが全ての人に均等に与えられることはとても良いことです。
しかしその一方で、スポーツ選手として活躍する身体障がい者を目にすることが多くなったために「全ての障がい者は努力を怠らない」「障がい者に対して必要な配慮がなされれば、誰でも健常者と同じようなパフォーマンスをすることができる」といったような偏見を生む恐れがあります。
このような偏見の意識が当たり前になると、障がいを持つ人々にとっては非常に生きづらい世の中になってしまいます。
パラリンピックはそれを助長する危険性があるのです。
そのような偏見を拡大させないためにも、私たちは「パラリンピックという大きな舞台で活躍することができる障がい者が全ての障がい者のうちのごく一部にである」ということを念頭に置いておく必要があります。
